ありがとう日記

2012年06月25日更新
セミナー

パネラー
皆さん、こんにちわ。

 この間、某セミナーに参加してきました〜。

 内容は、東日本大震災を被災してから1年数ヶ月を受けた日本国民が、「今何を出来るか、これから何をして行かなければならないのか」をパネラーで、東京都副都知事の猪瀬直樹氏・八戸市議会議員の藤川優里氏・久喜市長の田中暄二氏の三名をお呼びし、パネルディスカッションで行われました。
 猪瀬氏は、当日の混乱の反省を踏まえ、東京都役人の立場で東京都の大規模な避難訓練の実施や首都圏を襲う直下型地震を想定しての東京都が出来る準備の話しを、独自の感性と言い回しでお話をして頂きました。「いや〜、猪瀬氏は毒舌連発。猪瀬節炸裂〜〜」って感じでした。
 田中市長は、開催市ということもあり設営のもご協力をして頂いたみたいですが、当日のお話や市単位で行える対応を市長としての立場でお話をして頂きました。「都道府県の立場と市単位では、行政としての動き、対応が違うんだなぁ〜」と思いました。
 そして「美人すぎる市議会委員」こと、藤川優里氏、青森県八戸市市議会議員ということから生の声を話して頂きました。当日の動きや報道が落ち着くまでの話しなど、震災から今までの市としての復興の動きや市民の人達の声などとても考えさせられる内容でした。「やっぱ、自分でも言っている通り”美人すぎる市議会委員”だけあって、美人でした(笑)」個人的な感想はこの辺で・・・。
 
 日本は大きな震災を受け、尊い命や多くのものを無くし、大きな心の傷を受けました。この震災を含め、多くの心の傷を決して忘れていけないことですが、でも時は確実に進みます。だから、今、人が出来ること、やらなければならないこと、これから行って行くことを深く考えさせられるセミナーでした。
 

 最後にインド独立の父こと”マハトマ・ガンディー”の一言

「過去は私たちのものだが、私たちは過去のものではない。私たちは現在を生き、未来をつくる。たとえ、その未来に私たちがいなくても、そこには子ども達がいるから。」

2012年06月11日更新
覚えていますか?

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こんにちは、カラーぐんそうです。
一年前に会社の代車の中から助け出された
子猫のくうちゃんがこんなに大きくなりました。
隣の金物屋さんに可愛がられ幸せそうです。
ただ、男の子だからか・・・
男に全くなつかない・・・(T_T)

2012年05月22日更新
おまけ。

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皆様お疲れ様です。カラーぐんそうです。
昨日朝会社の前で日食を見ましたが間違った見方をしていた人がいたので悪い日食の見方を載せておきます。
一人はいいのですが隣のもう一人がまずいですね。
ニュースではタオル越しに見たらダメとは言っていませんでしたがね。

よいこのみんなは間違った見方をしなかったかな?

間違ったお兄さんみたいにおなかも出さないようにね。

2012年05月21日更新
ありがとう!太陽!

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平成24年5月21日午前7時35分ごろ。
金環日食を弊社のあるさいたま市でも
見られました。

無理だろうと思いましたが記念にデジカメで、
えいっ!
撮れてます(^_^)v

その時間急に寒くなりましたねぇ・・・。
そして終わったら気温も上昇しだしました。
一瞬でも太陽が隠れただけで寒い。
太陽って偉大!
太陽ってありがたいです。
ありがとう太陽!
(太陽戦隊サンバルカンの歌をハミングしながら・・・♪)





2012年05月10日更新
世界一○○○

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みなさん、突然の雷雨や強風が起きる季節を迎え、だんだん初夏の香りを感じられ始めましたね。

今日は、この間、日本の精神と技術が世界に認められているものを実際に「さわる?」 いや「渡る」ことが出来ましたのでご紹介します。

 静岡県島田市にある「蓬莱橋(ほうらいばし)」というものです。なんと・なんとこの橋!橋桁から橋脚全てが木造でした〜。ギネスブックには「世界一長い木造の橋」として認定を受けています。しかしながら、数々の台風による川の増水や流木が橋脚に絡まる影響を受け、大きな声では言えませんが今は全てでは無いのですが・・。
 でも、入口には昔の写真が展示されていて、確かに全て木造だったのが解ります。その長さは何と何と〜〜〜〜”897.4m”ですよ、すごいの一言です。TBSのドラマ「jin-仁-」で夏の夜の橋のシーンの撮影にも使われ記憶にある方もいらしゃるのでは。
 
 この「蓬莱橋」いつ何で作ったのかなぁ〜。明治時代に造られた橋です。明治時代、徳川慶喜ゆかりの幕臣たちが大井川の右岸にある牧之原にお茶畑を作りました。牧之原は元々人があまり住んでいなかったらしく、現地ではいろんな生活用品が不足していました。そのため大井川対岸の島田宿から物資を運んでいたんですがその都度、大井川を渡り非常に危険でした。命を落とす方までいたそうです。そこで当時の知事にあたる県令に橋の製造をお願いして、来る明治12(1879)年1月13日に完成となりました。勿論、人と人を結ぶために完成までは長い年月と人力を欠け、橋を架けたそうです。

 凄いですよね、「日本人の力」って!!

 当時の人々と守り続けてきた人々に敬意を払い、「お疲れ様でした。そして有り難う御座いました。」

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