ありがとう日記

2013年05月07日更新
GWもあっという間に終わりましたね・・・・。

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今日から通常業務に戻られた方も
多いかと思います。
休み明けはぼぉっとしてしまいがちですね(秘)

今日は北海道のお土産をいただきましたので
ご紹介!
その名も『白いブラックサンダー』
(>_<)じぇじぇじぇ〜!!
もはやブラックサンダーではないじゃん!
とはいえ、おいしくいただきました。
甘いモノは疲れがとれますね。
さて、では仕事頑張ります!

2013年04月05日更新
宜しくお願いいたします!

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新年度になりました!
弊社には新入社員はいないのですが・・・・
事務所に新入りシュレッダー君を迎えました。
いろいろと注意書きが貼ってあるのには
理由があるのですがここでは『秘密』で。

2013年03月06日更新
宜しくお願い致します!

あんこちゃん
みなさまー!
こんにちわ。お久しぶりのからーぐんそうです。
弊社にもニューフェイスのイケメンが入社致しました。
後ほど本人の方から紹介文を書きますが、取合えずですがからーぐんそうより紹介させて頂きます。

ニューフェイスの安藤くんです。
主に建築塗装の現場の管理・お客様との打合せ・御見積もり等を行っております。

これからどんどん腕を磨いていく気持ちでいると見ていて思いますのでみなさまなにとぞよろしくお願い致します!

2013年02月25日更新
損害保険代理店をしております!

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平成25年1月1日より三井住友海上火災保険(株)代理店を法人代理店として
新たにスタートしております。
代理店名は『有限会社旭塗装工芸社』です。
覚えやすいですか?
先日募集人試験があり、我が社の精鋭3名が受験。
見事(>_<)合格証をいただけましたのでこれからは保険スタッフ増員で対応する予定です!
そのためトップページのリンクが変更中のため
うまくいきません(T_T)
ご迷惑をおかけしますがもうしばらく
お待ちください。
何かご相談等あれば、お電話・メールにて
受付ますのでよろしくお願いいたします!!

2013年01月22日更新
文化の中の「お土産」と「おみやげ」

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「いや〜、カラーしょうたいちょう!おみやげありがと!ピーナッツの風味がたまらなく美味美味かったなぁ〜」

 さて、「おみやげ・お土産」って本当はどっちが表現が普通なの?ちょこっと調べて見ました。(どうでも良い!いやどっちでも良い!の声が聞こえてきそうですが・・・)

 とある筋の話しですが、昭和50年頃に”ちまきと生花”のルーツを調べるために、日本人が中国のベキラと言う町を訪れました。その町から”鯉のぼり・五月の節句飾り・ちまき・生花”が発祥し、日本に伝わったとされています。その時中国政府のあっせんで北京の土産品協会代表の方々と会合をしました。これが”お土産とおみやげ”の表記の違いを生んだ出来事だったんです。何故かと言うとお互いの話しが、通訳の方を通してもどうしてもかみ合いませんでした。よくよく話しを聞くと中国の方々は農産物の生産・販売を営んでいる方だったのです。つまり、日本で言えば農協・中央市場の方だったのです。中国では「お土産」は農産物をさし、日本人が農産物を買い付けに来たと思っていたそうです。それから、日本では「お土産」を平がなで「おみやげ」と書くことが増えたそうです。ちょっと面白い話しだと思いませんか?

 その勘違いさせた日本人達は京都土産品商組合の方々だったそうです。京都のおみやげと言えば・・。「ゆば・あぶら取り紙・漬け物・お茶・・・」など様々な物がありますが、その中でも有名なのが「八つ橋」ではないでしょうか?
「八つ橋」のお話を少し・・。

 ご存じだと思いますが「八つ橋」とは原料をうるち米を用い、とり粉に大豆、薬用に使われているニッキが香料に使われている円柱を半分にした形の焼き菓子です。歴史は、徳川幕府にさかのぼります。秀吉時代に街づくりの効果で四条河原の賑わいも名所となったり、歌舞伎が生まれた花街・二条城の建設・高瀬川の開通・和算と算盤の発明・江戸〜京都東海道五十三次・伊勢街道の開設などで人々が住み着き、京都が賑わっていました。その時流れに合わせ和楽も発展をしました。当時の町衆の間では、三味線と笛が中心で演奏されていましたが、武家の間では尺八と琴が流行っていました。その時に「八橋城秀」という検校が筑紫琴の名人として登場し、琴曲八橋流(後世の生田流)の開祖と成りました。海外ではちょうどベートーベンがシンフォニーを作った時代と同じ頃です。検校は、京の室町に道場を開き、また島原を初め花街などにも多くの弟子がいて、多くの門人を養成し世に出しました。検校は、全盲でしたので米を研ぐときに流しにザルを受け流れ米を溜めて、自ら手焼きのせんべいを作り来客にもてなしていたと言われています。余談ですがそのことから「お米を粗末にすると目がつぶれる」と言う教訓も生まれたとさせています。当時の市中には多くの煎餅屋がありましたが、その人々の中から検校を慕う心で、米を材料にした堅焼きを作り、短尺型に切って、反りを付け、琴の形に見立てて売るようになりました。何時しか人々は検校をしのび、その琴姿の堅焼きせんべいを「八つ橋」と呼ぶようになり、名前の由来になりました。

「八つ橋」は、今では、生八つ橋や様々な味の物が開発され、多く親しまれていますが元祖八つ橋の硬くってブリッチ場の焼き菓子を含め、形は変わっていっても、人を思う気持ちから出来たお菓子であることは変わりません。何百年・何千年と人を思う気持ちから出来たお菓子は、何か日本人の愛を感じます。
 そんな、日本人に愛を感じ「八つ橋をいだだきます!」

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